韃靼人の踊りに夢中になって以降、ボロディンの曲やボロディンの生涯についてもいろいろ調べるようになった。民族的な装飾音やリズム、甘いフレーズが、とにかく私の心にささった。

中学生のときは、あの韃靼人が収録されているベルリンフィルの2007年ジルベスターコンサートのDVD(か配信)で、交響曲第2番をテスト終わりに誰もいないリビングで流しながら、紅茶を飲んで解説を読むのが格別に楽しかった。

弦楽四重奏曲第2番や《中央アジアの草原にて》もめちゃくちゃ好きで、「これなら目覚ましにしても嫌じゃないな」とか思いながら、いろんなシチュエーションとセットで楽しんでいた。

あと、「kismet」っていう映画がボロディンの音楽を使いまくってるらしい、というのもどこかで知って(まだ見れてはいない)、同じようにボロディンを溺愛してる人が世の中にいるんだな、と勝手に仲間意識を覚えたりもした。

ボロディンは医者で化学者で妻思いの仕事人間、しかもこんなにいい曲まで送り出している。たぶん私は心のどこかでボロディンに憧れてしまって、その結果大学で化学科を選んでしまったんだと思う…笑。(まあ生物対象で物理化学数学で解析みたいなのがしたかったからあながち間違ってないけど)

大学の実験で出てきた反応をWikipediaで調べたときに「ボロディンが最初に報告した」と書かれていたのを見て、「自分もついにここまで辿り着いたか〜」とちょっと嬉しくなったのを覚えている。

それに、ボロディンの《イーゴリ公》や交響曲がなければ、《シェヘラザード》やチャイコフスキーの交響曲第5番はこんな形で存在しないだろう、と勝手に思っている。

リムスキー=コルサコフは、ボロディンのオーケストレーションの相談相手として、《イーゴリ公》の完成に深く関わっているし、本人の作品の中であれほど情緒が大爆発しているのは《シェヘラザード》くらいだと思ってる。ボロディンの『イーゴリ公』を仕上げてる時期の中で『シェヘラザード』も書かれたっぽいしね。

チャイコフスキーとボロディンの関係は、そこまで直接的に大きいわけではないけれど、チャイ5のホルンソロはボロ2(交響曲第2番)のホルンのオマージュ説があったり、学術的にもこの2つの曲の類似を指摘している文を見たことある気がする。

ロシア音楽全体にある甘さや、あの独特のキャッチーさを、ボロディンがとても魅力的に鳴らしていていたんだと思う。それでその時代のどこかに、ボロディンのエッセンスや流行りが入り込んでいるんだと思う。

どちらの曲も、大学オケで演奏できて本当に嬉しかったなぁ、また書く。