私には「そんなことしちゃう…」みたいなアホで真剣なエピソードがある。紹介しないけど。
そういうギリギリの状態(アホなんだけどね)の時の判断の根底に「自己像」みたいなものが薄いって感じがある。
多分、小学生の時に自己像を作ろうとした感覚はある。自分は何をどうして生きていけばいいんだとか、なんだか深刻に考えてた。
んで、たどり着いたものが「#3 小学生のころのてつがく」で書いたようなことだ。
無常感を理屈で納得した笑。
全部は続かないし、絶対に安全なものもないし、どうせいつか終わる。
自分も周りも変わり続ける。
もちろん怖いことはいっぱいあるけど。
小学生の頃に見た番組で、宇宙学者のお姉さんがニコニコしながら、「明日洗濯物を干してる時にガンマ線バーストで地球が消えるかもわからないし、一万年後か何億年後かもしれない」とか言ってたしね(なんだよそれ)。
でも、そういうところから
「こうありたい自分」「こうであるべき自分」
を作ることをやめた気がする。
というか無常感が考え方に採用されてるのはきっと、自分が自由に選択肢を持っておきたいというわがままな希望でもある。
でもその代わり、やたら
「機能の中で邪魔な自分」
「自分の気持ちと反したことをしてる自分」
っていうものに関して監査してる気がする。監査が邪魔なくらい笑。相反するんだけどね。
そういうわけで、「そんなことしちゃう…」みたいな変さは多分#3が根底にあるんだろうなって思った。
まあ、良いか悪いかは置いておいて…
正直な素朴な欲求って大事なものだと思ってる。無常感はきっとそれに呼び戻してくれた。
ただ、みんながみんな無常感なのは、ほんとに違うので気をつけてください笑。