なんだか、ライブに行く前は「小沢健二のライブに1人で行ってて恥ずい…」とか思ってた。
でもチケットは発売後すぐに取ってて、「小沢健二はいかないといけない」というのは無意識にあった気がする。
当日、友達と別れたあと、フェスティバルホールを上った。自分の親くらいの年齢の方がいっぱいいる中で、「またこんなところ来ちゃったな」ってやっぱり思っていた。
配布されるオレンジの紙袋に曲のことが書いてあって、なんだか嬉しい。曲の歌詞を、私も好きだし大事にしてるんだと感じた。去年あたりからすごく聴いていた「ある光」についても書いていて、たまたまタイムリーな人間になれていた。
紙袋にはまた組み立て式の道具が入っていて、本当いつもライブ前大変で、みんなこれをしてるのかと思うとカオス。組み立てがうまくいかない人のために、解説動画のQRコードと組み立て済みのものまで係の人が持って回ってた笑。隣の人が組み立てに困っていたので、一緒に組み立てた。
曲が始まって席を立つ時、「なんか恥ずいな」とか思って、体が気まずい動きになる感じがした。
でも「ある光」が爆音で鳴った時、なんでか涙が溢れてきた。
去年の秋ごろから1月くらいまで、自分は1時間ある電車の中で景色を見ながら、この曲をよく流していた。ライブで鳴った時にその景色が頭に浮かんだと同時に、あの時苦しい気持ちを抱えていたことに、やっと気づいた。
それで、音楽に包まれる喜びとともに、意味わかんないくらい涙が溢れてた。
隣の人に見られませんようにって祈りながら笑。
かなり自分は歌詞を覚えて歌えていた方だったと思う。カバーしていた中島みゆきの「悪女」まで歌えた。去年の5月くらい、中島みゆきブームだっただろうしね。
中盤、座って聴いている時はグルーブ感でゆったり浸れた。たぶん盛り上がる曲ばかりだと本当に自分がおかしくなりそうなので助かった。立って聴く時は、前奏のドラムや鍵盤のパターンを「なんの曲だっけ…あれか!!」とか思いながら、夢中で音楽に入った。
歌が始まったらほとんど口ずさんで、イヤホンで聴いて移動している普段の現実と、ライブで歌っている今の小沢健二が一体化したような感じだった。
あっという間に過ぎて、「え、もう終わりか…」ってすごく寂しかった。
紙袋に入っていたピンバッジやネクタイやいろんな紙、送れるハガキの存在で、寂しい気持ちを少し埋めた。帰りにタリーズに寄って、今日の感想をハガキに書いた。いろいろ書いてる紙を読み返して、曲を聴きながらゆっくり帰った。小沢健二って「正直でいていい」という感じがあるんだろうな、とか考えてた。
自分、良いファンすぎるやろ、って突っ込みながら。
家に帰ってからも、どうだったか振り返りながら、ゆっくり好きなように寝た気がする。
朝起きたら、妙に鮮明で昔の感覚を掘り出す夢を反芻しながら、胸がじんわり重かった。苦しみを照らし出された痛さと、すっきりした感じがあるように感じた。
その日は曲を流して、ぼんやりしたな。
(結局、この後、京都公演も行ってしまいました…)